哲学者が見たエジプト社会 ― カイロ回想(1)


交通混雑の謎

 私は、今年の春3月から4月にかけて、国際交流基金の派遣で、カイロ大学客員教授としてカイロに滞在する貴重な機会を得た。到着してまず驚いたのは、想像を絶する交通混雑、いや、人々の傍若無人な運転ぶりである。出発前のこと、私がカイロ大学の友人に「国際免許証をもっていくほうがよいでしょうか」と尋ねたところ、あっさり「もってこない方がよいでしょう」という答えであった。言われて少し傷ついた。ドイツ在住の頃、悪名高いイタリアなどにもよく行っていたので、運転には自信があるつもりだった。しかしカイロについたとたん、友人の助言は正しかったと納得した。私の想像を絶する無理な追い越し、割り込み、幅寄せが、カイロでは全くあたりまえの行動パターンになっている。つまり、「無理」ではないのである。

 このような分かり切ったことをお話しすれば、カイロの在留経験の長い方々は、新参者のおきまりのカルチャーショックだと思われるだろう。確かにそうだと私も思う。それにもかかわらずこの陳腐なテーマを持ち出すのは、それが私にとっては大きな経験と学びの出発点になったからであり、カイロの交通混雑をきっかけに私が学んだことを、読者諸氏とシェアしてみたいと思うからである。

 最初の衝撃と驚愕とが収まったとき、私の心の中のスフィンクスが私に問いかけた ― カイロの人々は、どうしてこのような運転をするのだろう。その背景は何だろうか。

 カイロでは、大学の教授や学生たちとの交流や日常生活を、日本とは違うテンポでゆったりと楽しむことができた。他方、道路交通には悩まされ続けた。傍若無人な運転は、車に乗っているときは、はらはらするだけだが、歩行者として道を渡るときなど命がけである。しかも、高濃度の排気ガスのために、のどと気管を痛め、カイロ滞在の後半は絶えず咳をしていた。それは熱の入った講義をしたあとの夜中にとくにひどかった。

 しかし日常生活の中で最大のストレス要因は、なんといってもタクシー料金の交渉であった。ザマレクのホテルからカイロ大学までの往復は、毎日タクシーを使うことになる。乗るたびごとに料金の交渉をしなければならない。カイロの住人なら最高4エジプトポンドだと聞いたのだが、日本人である私はそれでは許してもらえない。5ポンドでも足りない。6ポンド出すと、納得するか、足りないと文句を言われてもそれほど食い下がらないところを見ると、日本人は現地人の5割増し、というのが相場なのだろうか。しかしこの料金交渉には辟易した。5ポンドでも6ポンドでもたいした額ではない。しかし、常にぼったくられるのではないかという被害妄想に苛まれるようになった。安心していられない。タクシーに乗らなければならないと思うと胃が痛くなった。複雑なバス路線をまだ乗りこなせない私は、タクシーに乗るのがいやになって、4キロあまりの距離を歩いたことも何度かある。これはもうノイローゼの入口にさしかかっている。

 しかしここでも同じように、「なぜ?」という問いが頭をもたげてくる。なぜ人々は、タクシーだけではなく、あらゆる売買の場でよけいなエネルギーを使ってまで(と私には思えた)料金交渉をするのだろうか。


スークで謎解きの鍵をみつける

 カイロに着いてからしばらくは、不安とストレスの日が続いた。カイロ人の思考行動様式の迷宮から抜けだすことができないままに、私は週末を利用してルクソールを訪れた。王家の谷やカルナック大神殿などを自分の目で見て、書物やメディアから知ることのできなかった多くのことを学んだ。同時に、上記の疑問に対する答えを見いだすきっかけをえたのもルクソールであった。

 それは、ルクソールの見物を終えてカイロにもどる予定の最終日、時間が余ったのでおみやげ探しを兼ねてスークの見物に行ったときのことである。スークは人でいっぱいだった。しかも、日本のラッシュアワーと違って、みなが右側(左側)通行をする、というような統一性もない。不慣れな私は雑踏の中で、人の足を踏みそうになったり、ぶつかりそうになったりした。ところが、ほかの人たちは、どんなに混雑していても、足を踏んだりぶつかったりしない。彼らは、無意識にかなり離れているところまで目を配り、相手がこれからどのような動きをするかを判断しているようである。

 そうだ、これだったのだ、と私は思った。スークの混雑と、カイロの自動車渋滞は、同じ理屈で機能しているのだ。共通するのは、動いている私が、動いている相手との絶えず変化する位置関係を判断する能力が問われる、ということである。自分の行動は、相手の行動との相関関係の中で決まってくる ― 歩行者であろうと自動車であろうと、それが、彼らの移動の原則である。それは複数の変数を含む複雑な関数にも比較できる。カイロにもどってから訪れたスーク・アタバでは、それほどの混雑は見かけなかったけれど、身動きできないほど混雑することもあると聞いた。そこまで行っては困るが、程良い?混雑時には、自動車道路と同じ通行パターンが観察されるのではないかと思った。

 それでは西欧(的)近代人はどうだろうか。この「西欧(的)」とかっこに入れて「的」を用いたのは、そこに西欧化した現代日本人なども含まれていることを強調したいがためである。

 西欧(的)近代人の思考行動は、少なくともオフィシャルには相手との相関関係 ― それは慣れあいといってさげすまれる ― によって決まるのではない。通常は、自分と相手とを超えた第三の基準に照らし合わせて決まる。交通の場合は、交通法規を遵守することによって、結果的に自分と相手の行動がうまくいくように調整されている。これは変数が一つしかない関数にたとえることができるだろう。複数の変数を含む関数に比べれば、より単純である。このような第三の基準に依拠する行動パターンの単純化は、現実の社会が複雑化し、変数が増えてその時々の自分と相手の位置関係を的確に判断することが難しくなってくると登場する。ただ、どこまで複雑化したら第三の基準が必要になるのか、という判断自身にも別の基準が必要であり、問題は簡単ではない。

 すでに古代ギリシャの哲学者プラトンがそのような第三の基準の基準を問う、という無限遡行の難問と取り組んでいる。古代ギリシャも、揺籃期のヨーロッパ、小アジア、エジプトを含むオリエント、さらには遠くインドなどの諸文化の混交の中で、思考行動基準に関する混乱と葛藤と相対化が起こり、それに対処するために「哲学」という学問が生まれきたのである。


カイロの道路と日本企業の“交差点”

 このように考えると、私たちにとっては当たり前に思えるような、交通ルールに従った運転、という発想も、人類の歴史という広い視野で見ると、けっして当たり前のことではないように思われてくる。むしろ、人々の生活が現在ほど複雑化しておらず、メンバー相互の思考行動様式や好き嫌いなどを知り尽くしたコミュニティ(日本でいうなら、伝統的なムラ社会)では、固定的な法律で一律に縛るよりは、そのときの個別的な状況に応じてフレキシブルに対応したほうが、メンバーにとっての満足度も高いのである。そのような調整の仲立ちをするのが、村の長であっても、巫女であっても構わない。現代の日本企業でも稟議書を回す、といった仕方で伝統的意思決定の方法を踏襲している。

 個別的、具体的な状況に応じた対応は、当事者の満足度が高く、故にコミュニティの結束も強化されるという利点がある反面、コミュニティが複雑化するとともに決断が遅くなり、解決に時間がかかる、また関係者の投入するエネルギーも高くなるという欠点も指摘される。それが良くも悪くも従来の日本企業の体質であるとされたものである。

 もう一度交通の例にもどって考えてみよう。ほかの車たちの動きを見て自分の運転方法を決める。もし自分が急いでいるなら空いている隙間に割り込む。もし急いでいなければ、ほかのもっと急いでいる車に前の隙間を譲ってやってもよい。しかしその場合、ドライバーはほんとうにフレキシブルでなければならない。西欧近代的な競争社会では、追い越されるということは先を越されることであり、屈辱的なことである。自分が劣等であることを認めることと同一視されかねない。そのため割り込まれると腹が立つ。割り込まれないように張り合って車間を詰めたり、幅寄せしたりする。そうしたストレスを緩和するために、ヨーロッパや日本では、道幅が狭くなるところでは、代わりばんこに合流するのがエチケットになってきた。運転者個々人の都合や急ぎ具合に関係なく、すべてはこの第三者=法の下で平等に扱われるのである。この不文律をドイツ人が「チャック方式」と呼んでいるのを聞いて、思わず吹き出してしまったことがある。しかし、カイロでは違う。急いで行きたいものが、そしてそのことを運転を通じて表現し、相手を説得できたものが先に進むのである。カイロのドライバーたちは、追い越されても、割り込まれても、屈辱的といった感情は(あまり)もたないようだ。追い越す方も割り込む方も、(あまり)悪意が感じられない。

 これに対して、交通法規を遵守することはどのような長所短所があるだろうか。長所は、先に述べたように、簡単で合理的であるということだ。運転するときも、最低限交通法規、具体的には信号や速度標識を守っていれば、ほかのことを気にしなくて済む。つまり、運転の適性が低い人でも車を運転できるようになり、そのことで自家用車市場が広がり、経済が潤う。これに対して短所は、社会生活が人間相互の信頼関係によって築かれているという意識が希薄になり、法律にさえ触れなければ何をしても構わない、あるいは、捕まらなければ法律を破っても構わないという自己中心的風潮を作りやすいことである。そして、そのような社会的な絆の消失こそが、西欧近代以降の問題であり、また現代日本のさまざまな社会問題の根源ともなっている。

 カイロの道路交通はただものではない。外国人には、カルチャーショックを惹き起こすのに十分である。しかし、そのような道路交通のありかたも、人々の思考行動パターンの一表現である以上、個別的に善し悪しを論じることはできない。むしろ、その背後にあるエジプト人共通の思考行動様式を理解したとき、タクシー料金をはじめとするさまざまな価格の交渉も理解できるのではないか。 運転マナーも、価格交渉も、そして後に触れることになる男女の別席 ― 他のイスラム諸国に比べてとりたてて厳格とは言えないが ― も、それらはみな、人と人との関係をその時々の具体的な相互関係として捉える世界観を表す氷山の一角にすぎないのだ、という考えが次第に形を取り始めた。この謎解きのヒントをくれたのが、ルクソールのスークだったのだ。

(未完)





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