ドイツ便り『ルードルシュタットより』(1991年冬)





ハイデック宮殿からルードルシュタット市街「騎士館」方面を望む(2013年撮影)


 旧東独製自動車の二気筒エンジンの排気が道路に白く立ちこめていた。捜し当てたところは、荒涼とした映画館である。灰色の壁に深緑色のペンキでアクセントをつけたのが、けばけばしい。「アクティヴィスト」という館名は、「活動写真」と「活動家」の二重の意味を込めたものだろう。SED(社会主義統一党)の勢い盛んな頃、映画館に作り替えられたにちがいない。かつては「騎士館」というホテルだった建物の東側の三分の一をホールと機械室に使い、客席を南の庭の方に増築したものである。ガラスの向こうに並んでいるポスターをのぞき込んでみる。館名とは不釣り合いに、昼間は「そこにいるのはだあれ」という子供映画、夜は十八才未満お断りのポルノを上映している。

 映画も雑居なら、建物自身も混乱を極めている。旧東独の象徴と言うには、できすぎである。それにしても何という雑居ビルであろう。残りの三分の二は、一階が西側で普通に見かける靴のディスカウントセンターになっている。さて上の階は、と思って見回すと、映画館と靴店との境の目だたないところに、もう一つ入り口があった。白地に赤で、CDUと表示がある。現与党キリスト教民主同盟の支部である。そのすぐ上方に、灰色の壁に消え入るように、古ぼけたブロンズの板が埋め込まれていた。「この家で一八一三年、ショーペンハウアーが博士論文を書いた」と刻んである。重いドアを押して中にはいる。薄暗い木の階段を三階まで登りつめると、映画館の真上の部分に狭い廊下をはさんでCDUと「アクティヴィスト館」の事務室だけ、先は行き止まりである。ディスカウントセンターの上の方へは行けない。

 一度外に出て、建物のまわりを左へぐるりと回る。映画、政党、ディスカウントセンター − 西の文化・西の政治・西の経済が表側を支配している旧「騎士館」の裏側の壁は汚れ、今にもはげ落ちそうだ。かつての庭に通じる戸口があって、買い物姿のおばあさんが出てきた。ガラスが外の明かりを反射して見えにくいが、目を凝らすと、二、三階の窓の奥にはどこもひっそりと白いレースのカーテンがかかっている。何世帯住んでいるのだろうか。呼び鈴がないから、外の表札も必要ない、ということか。古新聞の束の中身が西側ゴシップ紙になった他は、統一後も日常生活はあまり変わっていないように思われる。

 映画館の前まで戻る。喧噪をぬって、微かに、時計台のくすんだ鐘の音が風に乗って聞こえてくる。視線をそちらに向けると、冬枯れの小枝を透して、街路樹の道が山の方へまっすぐ延びていた。右前方、山の上のハイデック宮殿の黄色の壁が、青空に映えて美しい。この道にはいると、家々の煙突からはき出される褐炭の煙のノスタルジックなにおいが優勢である。二、三分遅れて、今度は近くで時の鐘が鳴る。宮殿の見えかくれする道を進むうちに、道端の小さな家の鴨居の石に、一七九四年とあるのが目にとまった。ショーペンハウアーがここを歩いた時は、まだ二〇年に満たない「新築」の家だっただろう。今は補修のスレートさえも半ば落ちて、壁のあちらこちらに穴があいている。その隣は、庭の広いこぎれいな家だ。手入れが行き届いて、周囲に似つかわしくない。こちらは裏手で、家は別の道に面している。表に回ってみる。なるほど「この家でゲーテとシラーが初めて会見した」と扉の上に記されている。同じ家でシラーは、ゲーテと会見する前年の一七八七年、後のシラー夫人シャルロッテ・フォン・レンゲフェルトと出会った。現在この道は「シラー通り」という名である。先ほどの牧歌的な街路樹の道とは対蹠的に、古いたたずまいの家が山の下までぎっしりと並んでいる。宮殿と反対の方向に引き返してみる。シラー通り一番地、ルードルシュタット時代のシラーの住まいは、家の角に立つと、なんと「騎士館」の筋向かいであった。そういえば、母ヨハンナ・ショーペンハウアーも、ワイマールでは初めシラー家の右隣の家を借りて、サロンを設けていた。シラー没後だが、シャルロッテ夫人はまだ住んでいた。

 「若きショーペンハウアーとシラー」 − これまでゲーテとの関係の影に隠れていたテーマである。ショーペンハウアーは英語の勉強のために、十五歳でイギリスのウィンブルドンに送られたが、シラーばかり読み耽るので、母ヨハンナが手紙でたしなめたほどであった。芸術論の枠を超えて、シラーのカント理解が、少年ショーペンハウアーに哲学的インパクトを与えた可能性は大きい。そこから主観客観の相互依存(「表象」)を軸にしたラインホルト的なカント解釈へいたる道筋が見えてくるような気がする。一度掘り起こしてみる価値がありそうだ。

 北海の風が吹き抜ける茫漠とした北ドイツの平原とも、人を寄せつけない峻厳なアルプスとも異なるテューリンゲン地方の自然の穏やかな起伏は、「あれかこれか」という対立関係よりむしろ、古典的調和の思想を生み出す土壌としてふさわしい。「騎士館」を引き払うとき、ショーペンハウアーは部屋からの眺望を讃えて、ホラティウスの詩句を窓ガラスに刻んだという。






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