バレンタインデー ・ 歴史

バレンタインデーに見る日本文化論

鎌田 康男



 2月14日はバレンタインデー、年に一度女の子が男の子にチョコレートをプレゼントして愛を告白する日である。しかしこのしゃれた風習は、欧米からわたって来たというより、日本人の創作である。

 第二次大戦後、お菓子の世界も国際的になり、せんべい、おこし、かりんとうなどの日本菓子の世界に、ハイカラなチョコレート、庶民的なキャラメル、ちょっと「きざ」なチューインガムが旧敵国との和解を底辺から支える役割を担っていた一時期がある。進駐軍のジープの上からばらまかれるお菓子をもらって、子供たちがまず熱狂的な米国ファンになった。残念ながら私はまだようやく物心がついた頃で、自分で争ってお菓子を取りにゆくほどの「戦闘力」はなかった。大きいお兄さん、お姉さんたちがうらやましくてしょうがなかった。

 子供の目から見た印象であるが、当時の国産チョコレートは、森永・明治・雪印の御三家の板チョコが主流であった。そして、そのうえにモロゾフの高級チョコ(プラリーネ)が君臨していたようだ。その後の急速な戦後経済復興とともに、お菓子類もバラエティーに富むようになり、新種のおいしいお菓子も次々に考案されていった。チョコレートを「単体で」食べる人は激減し、新種の菓子類の原材料に成り下がっていった。このようなチョコレート市場の停滞を突破するためにモロゾフがしかけた起死回生の「バレンタインデー作戦」が大当たりして、「日本文化」の一部になってしまうとは、当時の誰が想像しただろう。

 「殉教者・聖バレンタイン」の日はもちろんヨーロッパ起源である。その日にプレゼントを贈る、という共通点はあるが、「年に一回、女性が男性にチョコレートをプレゼントして愛を告白する」という習慣のどれも、オリジナル版には含まれていない。[1] まず「年に一回・・・愛を告白する」、という件であるが、欧米では、恋人や夫婦のように「すでに存在する愛を確かめあう」方が主流である。第一、恋愛のテンポが日本よりも速い欧米で、悠長にバレンタインデーまで待っていては、時を逸する。大体知り合ってから数週間以内に「勝負」はついてしまうことが多い。むしろ年に一回だけという「悲・劇」性は、七夕のような東洋的禁欲的美学を感じさせる。[2] 「チョコレートをプレゼント」することもあるが、チョコレートに限られない。むしろ、バレンタインカードや、花束や、その他「食べられないもの」をプレゼントする方が多いのではないか。手みやげには菓子(食べ物)と相場が決まっている日本文化の反映、と言えるだろう。私は知人に夕食などに招かれると、台所に立つ奥さんへの感謝の気持ちを表すために花束をもって行くことが多いが、ときどき妙な顔(誤解?)をされることがある。[3] 「女性が男性に」も、日本的発想である。近代欧米の女性は意志をはっきり表現する。(目につきにくいが、もちろん奥ゆかしい女性もいる!)まず女性の求愛をタブーとし、そのうえでタブーの例外日を設定してもらって良心の痛みを取り除き、しかも「義理チョコ」を隠れ蓑に「本命」に意志を伝える・・・といった手の込んだ方法を使わない。だいたいシンボル的表現に頼らなくても、ほかにもいろいろな意志伝達の方法があるではないか。いや、自由な恋愛(恋愛に限らない!)が許される社会では、むしろ女性の方がアクティヴ、ないし最後の鍵を握っているような気さえする。女性に自由な裁量が任される日本の家庭内で、母親の発言権の強さを見れば一目瞭然である。だからこそ、伝統的・父権的社会では、そのような事態を恐れて「慎み深い」女性像を作ろうと躍起になってきたのではないだろうか。

 このように見てくると、日本版バレンタインデーは、日本社会で実によく機能している。この頃は恋愛テンポが加速化してきているとはいえ、長期戦(つまり、周囲から変化を悟られないテンポ)で腹をさぐり合っておいて、背水の陣でチョコレートを贈る。しかし、状況によっては、少なくとも第三者から見て「義理チョコ」にも逃げられる体制である。これなら万一不発でも恥にならない。そうなると、もらった方(男性)も、それにつられて贈った側(女性)も時として疑心暗鬼になる。ホワイトデーはその疑念を一掃し、しかも日本経済にもう一度貢献する、という一石二鳥の好企画である。もちろんホワイトデーは「純日本製」である。

 私が渡欧した1975年頃には、まだ「バレンタインデー」など、ほんの一部の若者がやっていただけだった。学食での夕食後、学友のひとりのアパートについていったら、ドアの前にデコレーションケーキの箱がおいてあった。説明されて、「不可解」と「嫉妬」との入り混じった感情を持った記憶がある。そして、1992年に帰国して体験した最初(翌年)の商業化されたバレンタインデーに、強烈な「カルチャーショック」を受けたのであった。

 ちょっとはすかいのコメントを書いてしまった心の奥には、チョコレートをもらう「適齢期」を国外で過ごしたひがみもあるかも知れない。でも、もらえないことの不安感・失望感に耐える苦しみからも解放されていたと考えれば、幸せだったともいえるだろう。(^_^;


【註】モロゾフのホームページによると、モロゾフが日本で初めてバレンタインデーを紹介したのは1936年であるといいます。しかしそれでは、上の趣旨と一致しません。また別の情報筋では、近年のバレンタインデーの仕掛け人は新宿の伊勢丹デパートである、ともいいます。いずれにせよ、バレンタインデー=チョコレートという筋書きを定着させるためにモロゾフの貢献(努力?)は相当のものであったといえるでしょう。

 なお、ホワイトデーは、「全国飴菓子工業協同組合」の発案で、1980年に発足したものだそうです。


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