さまよえるワーグナー

「優しい学としての哲学」の観点より見たワーグナー論(1)

                              鎌田 康男

1.これまでの「オランダ人」解釈について

2.「優しい学としての哲学」の観点

3.「優しい学としての哲学」の観点から見た「さまよえるオランダ人」




歌劇『さまよえるオランダ人』あらすじ




1.


 歌劇「さまよえるオランダ人」(2)は、ワーグナーの初期の作品である。初版は1841年10月に完成、1843年1月にドレスデンで初演された。

 最近のワグナー演出には、ロマンチックオペラとしてのオーソドックスな解釈と並んで、現代演劇の一般的な風潮でもあるが、大胆な実験的・前衛的な演出も多く試みられている。「さまよえるオランダ人」の場合も、例外ではない。こうした傾向は、文化史的な視野から見ると、比較的理解しやすいものである。初演以来繰り返されたロマン主義的解釈・演出の可能性が一通り出つくした時期、すなわち20世紀初頭が、丁度実験的・前衛的な演劇運動の勃興期と一致したために、新たな解釈、演出を試みる地盤が内部的にも用意されたのである。この新たなワーグナー解釈は、とくに精神分析・表現主義・批判理論という思想的展開と並行している。それぞれの代表格として、フロイト、ブロッホ、アドルノをあげておこう。この三つの立場は、それぞれ心理学、芸術論、社会批判というように、一見全く異なる領域の問題であるかのように見えるが、実際には思想的な連続性を保っている。精神分析の基本構想に従えば、われわれが経験(意識)する「現実世界」は、実は深層にあって意識されない内的な経験の表層である。もしそうであるならば、われわれにとっては自明で揺るぎなく見える「現実世界」の秩序も、そうした内的経験の現われかたのひとつにすぎない。むしろ、表われの一つにすぎぬこの現実世界の秩序が、あたかも唯一の世界の秩序であるかのように振る舞っていることによって、内的経験を表現するよりふさわしいしかたを模索する試みを抑えこみ封じ込む、抑圧のメカニズムとして機能している。このような一見自明な現実世界の秩序を、異化作用(Verfremdung)によって相対化(現象学の用語を使えば、「還元」)し、自明なものとしてまかり通って来た抑圧のメカニズムを暴露しつつ、これまで抑圧されてきた根源的な経験をよりふさわしいしかたで表現する方法が、芸術活動において模索されるべきである。これが、実験的・前衛的な芸術運動としての表現主義の目指したものであった。更に、そのような現実世界の抑圧のメカニズムは、社会的・政治的なレベルにおいて、イデオロギーとして、その社会集団の成員にたいして、現実認識・現実関与のしかたを操作する。この操作によって、「現実世界」の秩序がいっそう自明(客観的・没価値的)なものとなるように配慮されているのである。従って、前衛芸術は、イデオロギー批判という社会的・政治的な役割をも引き受けることになる。このような創造的な現実破壊が実は近代市民社会の申し子であり、それは結局頽廃へ向かうのではないかという疑問をめぐって、ブロッホとルカーチの論争が展開されたが、前衛的演出におけるゼンタ解釈では、この点についての演出者の見解が問われるのである
(3)

 こうした文化史的な状況の下で、すでに1911年、フロイトの編集する『応用心理学論集』第9巻掲載のグラーフ論文「《さまよえるオランダ人》におけるリヒャルト・ワーグナー。芸術制作の心理学」
(4)は、精神分析の立場から、それまでつけたしの敵役にすぎなかったエリックのキャラクターを生き生きと描いて見せたが、1929年、オットー・クレンペラーの指揮、フェーリンクの演出によるベルリンのクロルオーパー(Krolloper)公演を皮切りに、精神分析・表現主義・イデオロギー批判を軸とした実験的・前衛的なワーグナー解釈・演出が現実に試みられていった。その結果、舞台構成は説得力あるものとなり、ダラント、ゼンタ、エリックといった「わき役」たちの解釈が豊富になり、様々な新演出が登場した。

 グラーフに始まる精神分析的なオランダ人解釈の系譜では、1978年のバイロイト演出においてハリー・クッパーが、さまよえるオランダ人の筋書き全体をゼンタひとりの心理プロセスに解消する、という大胆な演出をおこなった
(5)。さらに、最近では、イゾルデ・フェッターが、オランダ人とゼンタを軸に、登場人物たちの心理的相互関係を精神分析的に処理している(6)。同時に、社会批判・イデオロギー批判の要素も重要である。ことに、ダラントとゼンタとの対立を、一方で近代市民社会の体制と、他方で、近代市民社会自身の根幹をなす「自由」の概念から必然的に生じてくる、市民社会への反逆のプロセスとして処理することが多い。1962年のヘルツ論文『ロマン的なものと現実』(7)、1981年のザバリッシュ・ヴェルニケのミュンヘン新演出などがこの線上に位置付けられる。そして心理プロセスと社会プロセスとは不可分の関係を保ち、両者の交叉するところに、表現主義的な芸術理念が実験・実践されてきたのである。

 以上のような様々の成果にもかかわらず、結果的には、作品のメインテーマであり、ワーグナーの分身ともいうべき、肝心のオランダ人船長 − それは同時に、すべてのとは言わないまでも、西欧近代の人間を体現している − の性格付けが次第に曖昧なものになってきた。オランダ人は今や、文字どおり黒い衣に包まれた、謎の人物となってしまった。すでに1854年に、フランツ・リストが、ワグナー自身にとって一番関心があったのはオランダ人であり、「彼のために(=オランダ人を描くために、著者註)こそ、この作品全体が作られたのである」と言い切っているにもかかわらず、である
(8)。ワグナー自身が、世界史的な視野で、中世から近世への移行を論じ、その文脈で《さまよえるオランダ人》が民族の神話詩的自己表現であり、人間の本質を表現しているのだと自負するとき、人間とはなにかという問い、少なくとも近代ヨーロッパ人としてのワグナー自身の人間観が問題になっているはずなのだ(9)

 これまでの演出には飽き足らず、新たな可能性を模索しようとした1929年以降の前衛的演出の背景には、ワーグナーを含む十九世紀の思想家たちには生きいきと経験されていた西欧近代の基本的な問題意識が、二十世紀に入って次第に忘れ去られていった、という事態が推定される。

 孤独の航海の中で新たな存在の秩序を開拓しようと奮闘する近代的自我の悪魔的な意志は、住み慣れた陸地、信頼できる共同性(愛)の確かな安らぎを破壊し尽くしてゆく。そこに生じる自由と孤独の葛藤こそが、十八・十九世紀の思想史を支配する個と普遍、ないし主観・客観関係の問いの情緒的背景である。さまよえるワーグナーは、まさにそのような問題意識に導かれた時代(近代形而上学の時代)の終結期に生きた人であった。新演出において問題なのは、そういった西欧近代の根本経験が、黒い衣に包まれて、もはや異化作用によって暴露することすらできなくなっていた、ということである。登場人物にワーグナー当時の衣装を着せるということは、この西欧近代の表現としての「市民」たち(その中には、市民的反逆者たちも含まれる)と、その行動・思考様式(その中には、失われた共同性への懐古を歴史への懐古として表現するいう要素が含まれている)を異化しつつ、同時にこれら市民たちの行動・思考様式をより生々しく暴露するという巧みな二重戦略である。しかし、そのようなレベルでの異化と暴露とが、20世紀のわれわれにとって、少なくとも20世紀末のわれわれにとって自明なものとなり、違和感を感じさせるものではなくなったと同時に、まさにその自明性によって逆に、近代市民社会・ロマン主義の文化史的な基底が隠蔽されてしまうのである。

 確かに、自由な存在構築と、その代償としての孤独との葛藤は、西欧近代市民社会という基盤の上で極端にまで推し進められたといえる。しかし、それは近代市民社会の構造に解消されるものでもない。深く立ち入ることはできないが、主な世界宗教成立を支える根本経験の中にも、「共同性の秩序 − それは個人の恣意を超えた不変かつ普遍の秩序であり、またこの秩序を命ずる超個人的な主体を想定するなら、それは神の掟でもあるのだが − を見誤り、そこから脱落することによって苦の経験に至る、従って逆に、共同(公同)の秩序を認識し、そこに立ち戻ることによって、苦を克服することができる」
(10)といった思想契機は極めて重要である。それを表現するために、登場人物がワーグナー当時、19世紀中葉の服装で現われるだけでは解決しない問題である。

 以上のように、代表的な「さまよえるオランダ人」の新解釈が精神分析の領域をさまよい、さまよえるオランダ人のよって来たる根本経験に光を投ずることができないとするならば、それは、ワーグナーの用いる様々な人物像と映像とが、われわれにとって直接の表現力を失ってしまったということである。

 それゆえ本稿では、ショーペンハウアー哲学より抽出された「優しい学としての哲学」の手法によって、ショーペンハウアーとニーチェとのあいだに位置する思想家ワーグナーの哲学を再構成し、同時にタンホイザー以降パルジファルにいたるまでの作品における愛と同苦をめぐる問題を連続的に解釈するための手がかりを模索したい。




2.

 ここで、「優しい学」について簡単に説明させていただきたい。私は「優しい学」という言葉によって、ショーペンハウアーの思考方法の特徴を言い表そうとした。ショーペンハウアー哲学は矛盾だらけの哲学である、とよく言われる。しかし、ショーペンハウアー自身は、自分の哲学が、「唯一の思想」を述べたものである、と主張している。いわゆるショーペンハウアー哲学の矛盾として指摘されるものは、大抵次の3つの点にまとめることができる1)主観と客観の優先関係2)表象と意志との優先関係3)意志の否定の可能性。これらは、ショーペンハウアー哲学の根幹を成す思想であるだけに、矛盾として片付けるわけにいかない問題であった。

 ショーペンハウアーの思考の特徴は、「主観」、「客観」、「表象」、「意志」などの概念を厳密(明晰・判明)に規定し、その規定のネットワークによって「世界」を構成してゆくのではなく、世界という広がりの中で、むしろ一つの概念が、他の概念の困難を補いつつ、世界を輪郭づけるという形で使われている、ということである。したがって、輪郭づけられた世界自身の分節は、絶対的ではない。例えば『意志と表象としての世界』において、異なる仕方で世界の本質を表わすものとして、哲学と音楽、そして部分的ではあるが神話をあげている。
(11)このあたりは、ヘーゲルの『精神現象学』における宗教から絶対知への移行、『エンチクロペディー』における絶対精神の三形態としての芸術・宗教・哲学などとも呼応し、ドイツ観念論の系譜に連なるものであるが、ショーペンハウアーにおいては芸術・宗教・哲学に関する序列の確定が意図的に避けられている。世界は、そのときどきの視点にふさわしい分節が可能であり、その限りニーチェのパースペクティヴィズムへと連なる思考契機が認められる。

 同じことを「主観」と「客観」の概念に即して考えてみよう。ショーペンハウアーは、両者に自明性・自立性(実体性)を前提したうえで、一方が他方を産出、ないし構成するという図式によって両者の関係を把握するのではなく、両者の相互関係こそが存在の意味であり、互いに相手の自明性・自立性を解消しあう、という形で、主観客観の相互依存関係としての表象概念を想定した。このような思考方法も、広い意味でのドイツ観念論の媒介の思想の系統に属するが、へーゲルと違って、媒介のうちに対立項の契機を引き継がない。へーゲルにあっては、個物の自明性・自立性といった形而上学的存在概念に含まれていた契機が、個物において廃棄されつつ、絶対者へと委譲されてゆくのに対し、ショーペンハウアーでは、そういった契機自身の非主題化(Entthematiserung)が試みられる。これによって、対立関係の解消がより高次のものによる支配へと取って代わられることなく、経験認識の場が表象の世界として輪郭づけられる。同じことは、表象と意志との関係、意志の否定の可能性の問題についても言いうるが、ここでは省かせていただきたい
(12)

 それは、カントの『純粋理性批判』超越論的弁証論における純粋理性概念の統制的使用という思想をショーペンハウアーの視点で拡張した立場であるともいえるであろう。ショーペンハウアーにとっては、概念は「表象の表象」であり、この表象は、意識に直接現在しない。彼は、そのような直覚性を欠いた概念にはいかなる意味でも自立性(subsistentia)を認めなかった
(13)。もちろんだからといって、概念がまったく空虚なものだというわけでもない。統制的使用の枠組みにとどまり、構成的に使用される危険のない場合、世界を理解する助けになる。そのような意味においてショーペンハウアーは、世界の本質を直接表現するものとして、時間芸術である音楽とならんで、概念による哲学を挙げた(14)。従って、哲学は概念によるとは言っても、概念による世界秩序の構築(投企)を目指したものではない。ここでショーペンハウアーは、意志によって認識の目の曇らされていない理性の働きを考えているのである。そのような理性の働きの代表的なものが、理性によるイデアの認定である。すなわち「イデアとは、理性が普遍性を認めたファンタスマである。」(15)そこでは、概念が直観的表象の類概念としての分を心得、頭でっかちになって逆に直観的表象を操作したり、産み出したりしようと思い上がることはない。「意志」や「表象」の概念に形而上学的な実在性(per se notum subsistens; 自明かつ自立的存在としての実体性)が前提されないがゆえに、それらは否定されることもでき、消滅することもできるのである。否、ショーペンハウアーによれば、そもそも存在とは表象存在(Vorstellung sein)のことであり、表象存在とは主観にとっての客観であるということである。そしてそれは、客観にとっての主観である、という表現と入れ替え可能である、と言われる。要するに、「存在」という言葉には、主観と客観との相互依存的関係が成立している、ということ以上の形而上学的内容は含まれていない。カントの誤りは、物自体をあたかも客観のように扱ったことである、というショーペンハウアーの批判(16)は、カント哲学自身に妥当するかどうかはさておき、ショーペンハウアーの思考を理解する上では重要な言葉である。



3.

 「さまよえるオランダ人」を「優しい学」のパースペクティヴで眺めて見ようと考えた理由は、ワーグナーにも、ショーペンハウアーと同じ様な論理的矛盾(としか思えないところ)があるためである。

 本稿のテーマである「さまよえるオランダ人」のようなロマンチックオペラを創造したワーグナーが、同時に革命思想の持ち主であったということ、また、女性の愛への敬虔さを持ちながら、劇的な女性遍歴を繰り返した(「女たらし」であった)、あるいは、心の浄化と救済とを求めながら、鼻持ちならない自己主調と自己顕示欲の人であった、などなど。そしてなによりも、彼の作品の不可解さである。よくよく考えてみると、ワグナーの多くの作品がそこに向かって収斂してゆくはずの「愛の死による救済」という根本思想自身が分かりにくく、それだけ説得力を欠くように思われるのである。

 そのような疑問を抱きながら「さまよえるオランダ人」の筋だてを検討してみると、不可解なところが多い。主なものをあげるだけでも、次のような問題が出てくる。

 第一に、なぜオランダ人船長は、希望峰を漕ぎ切ろうとして、永遠に嵐の中をさまよう運命となったのか。
 第二に、オランダ人は何故に死のうとしたのか、そして何故に死ねなかったのか。
 第三に、オランダ人はなぜ七年に一度、愛による救済を求めて上陸が許されるのか。
 第四に、何故、実際の救済がオランダ人の死であり、しかも単にゼンタの「愛」による救済ではなく、ゼンタの「愛の死」による救済だったのか。
 この内、最後の問いはあまりに謎めいて不合理に思われるのだろう、幕切れのゼンタの死の場面で、ほとんどの新演出・新解釈がオランダ人の「救済」を無視し、ないし避けて通ってしまう。ハンス・マイヤーはブロッホの「希望の原理」の視点から、オランダ人が夢見る「女性の貞節」が「もはやない」過去に属するものであり、そのもはやないものへの憧れがもはやないこと(死)への憧れへと転化する、と説明するが
(17)、乱暴な言い方をすれば、「二人はこの世では救いようがない」(18)ので、死ぬ以外に道がなかった、つまり、死だけが残された救いだった、ということにすぎない(19)。確かにルドルフ・ハイム以来ハンスマイヤーに至るステレオタイプ化した見方によれば、ロマン主義の本質は、すでにないものを単なる無為の中で女々しく懐古することである。しかし、後に見るように、ワーグナーの関心の焦点は、すでにないものを懐古することではなく、むしろ西欧近代的主体が、対象のみならず、自らをも主体的に克服しようとするときに遭遇する困難なのである。だからこそ、絶望しつつも荒海と永遠に戦う船乗りが主人公とならなければならなかったのだ。

 ともあれ、ゼンタの死によって、オランダ人とゼンタが二人とも救済される、という説明がリブレットのト書きには記されているものの、歌詞には出てこないので、曲自身に手を入れずに、原作のままの音楽で演出を変えることができたわけである。

 これにたいして、はじめの三つについては、歌詞の中に出てくるので、表面的にも避けて通れない。少なくとも当面次のようなコメントは可能である。
 第一の、「さまよう」という自体は、留まるところ、安らぎの場所がない、ということである。
 第二の、オランダ人の死の願望は、「さまよう」ことについての絶望と結び付いており、その苦しみからの「解放」を意味する。
 第三の、愛による救済は、オランダ人が自分一人では救済に達することができない、ということを暗示している。
 これに対して、第四の、ゼンタの死によるオランダ人の救済、つまりゼンタの愛の死によってオランダ人自身も死ぬことができる、という事態は、たしかに、オランダ人のさまよう運命の終結、死の願望の成就、愛による救済の三つをこの点に集中させながら成就させている。しかし、ゼンタが死ぬことでオランダ人も死ぬことができる、ということの必然性が明確でなく、それだけ説得力も弱いように思われてきたのである。しかしこの、第四番目の問いが回避されることで、最初の三つの問いも行き場を失ってしまい、時代錯誤ゆえに生きて結ばれることのない不幸な恋人たちの物語に解消されるほかなくなってしまうのである。


 しかしここで、ワーグナー自身やフランツ・リストの発言に含まれる主張、すなわち、オランダ人がワーグナー自身、否、西欧(的)近代人の分身である、という主張は、大きな助けになる。

1)「さまよう」ことについて
 「優しい学」の見方によって、それぞれの概念を、ある限界を表わすものと考えてみよう。留まるところなくさまよう、ということは、滞在(Aethos)の否定である。堅固な存在の庇護の下に留まり、その秩序を生きることを習慣(Ethos)化するような生き方人倫性は、近代において個人道徳へと解消されて行った。この堅固な存在の秩序の解消が、教養主義的な理念と結び付いて「遍歴」・「意識の経験」といったポジティヴな表現を獲得するが、他方で、それが堅固な秩序の喪失として意識されるときに、「さすらう」こと、「さまよう」ことが文化的な意味を獲得する。そして、堅固さの喪失を表わすのに、しっかりとした陸地の否定、すなわち海よりふさわしい映像はない。具体的には、かつて自明であった安住の場所がない、つまり、中世キリスト教世界において自明だった存在秩序が疑わしいものになってきた、という事態に呼応する。それは一方では、これから開拓されるべき、つまり未だ存在しない新たな存在の秩序を求めて、未知の領域へ旅立ってゆくことであり、他方では、これまで立ってきた存在秩序の喪失による孤独と不安の増大を意味した。ともあれ、この二重性によって輪郭づけられた空間に、近代的個としての人間が形成されたのである。これこそが、大航海の時代の精神である。

 のちにカントも、確実な基礎付けを持った学の領域を陸に例え、冒険に満ちた嵐の海と対比している。また、最近では、パウル・ロレンツェンが、「構成」を、海の中を泳ぎながら、周囲に浮かんでいるものをかき集めていかだを組み立てる作業に比しているように、西欧近代において海は、自明な秩序の欠如としてイメージされてきたようである
(20)。更に振り返ってみれば、「海」を「永遠に」さまよう、というイメージは、オデュッセウスと永遠のユダヤ人との要素をともに包みこんでいる。古代の海(地中海)が、秩序の欠如ではなく、むしろ神話的秩序に満ちたものであったにせよ、オデュッセウス自身は、そのような神話的世界の秩序を逆手にとり、合理性という新たな秩序を押しつけることで、神話的世界の秩序を無きものとする方向へと進んだのであり(21)、古代の存在秩序の危機と世界宗教の成立とを重ねあわせてみると、ワーグナー自身がオランダ人の人類史的な普遍性を主張するのも、根拠なしとはいえない。

 かつては自明であったが、今や疑わしいものとなった既成の存在の秩序を離れ、新たな存在の秩序を開拓しようとする自我、ひとたび荒海に乗り出した孤独の自我にとっては、既成の存在の秩序の残りかすは邪魔ものでしかない。こうして培われた西欧近代の精神は、その中に、自分が構成したものでない秩序を他律的に受け入れることを非本来的な態度、主体的でない生き方であるとして拒否するモラル(道徳)を産み出す。このモラルが地域共同体的な人倫の共同性を破壊し、複数の個人の利益社会としての近代市民社会において自己を実現させてゆく過程で、個人はその孤独を自覚しはじめる。それは、自分が信頼して属することのできる共同体を失い、一人になってしまったという孤独であると同時に、帰るべき共同体を失ったことによって先鋭化した死への恐怖である
(22)

 人は、その孤独から逃れて、共同性のぬくもりへ帰ることを願う。しかし、西欧近代的主体となった個人は、もはやその共同性に戻ろうにも戻ることができなくなっている。身近な共同体である家族は核家族へと解体し、地域・村落共同体は、異なる利益の錯綜する社会へと変貌し、共同性・普遍性の最後の保証人である神も死を宣告された。近代的主観は、所与を超越する意志によって新しい存在秩序を構築するように訓練されている。それが近代的個のモラルなのである。しかし、伝統的な共同体へと帰るということは、すでに所与となった近代的主観性を超越して、かつての伝統的世界へ戻るというしかたでは実現されない。そのようなことをしてみても、それは、まさに所与の超越として、近代的個の更なる自己実現にすぎないのだ。伝統への回帰を願う近代人は、大抵のところ、反動主義というアクショニズムの一形態へと陥り、こうして近代的意志主観であることを克服することができない。この問題は、次のタンホイザーの中心テーマである。タンホイザーに関しては、本稿のオランダ人の解釈の地平において、少なくとも次のことがいえるだろう。タンホイザーは、意志によって目的を設定しつつ所与を超越するという西欧近代的主体のモラルのおかげでビーナスの世界から脱出し、故郷ワルトブルクに帰ることができたのだが、その同じモラルのゆえに、ワルトブルクの共同体の秩序に逆らってしまう。巡礼の旅に出ても、彼を共同体へと連れ戻すための条件である純粋な謙虚さ、近代的自我の自己放棄へ至り得ず、むしろ自らの意志で自らに苦行を課して救済を実現しようとする。それゆえに、彼には許しが与えられない。


2)解放としての「死」への願望と「外なる救済者」について
 近代的意志主観が、自らの意志で自らの意志を否定することはできないのではないか、という疑問は、すでにショーペンハウアー解釈者たちを悩ませた難問であった。

 「優しい学」の手法によって考えてみると、「死」は「生」の果てるところであり、生の否定である。また、オランダ人の救済が彼自身によらず、他者ゼンタによってもたらされる、ということは、自己救済が不可能である、ということである。近代的主体が、自分自身から自己の個別性を超えることができないということである。すなわち、近代的意志主観となった自我は、共同性(愛)を求めて、個としての孤独の戦い(苦)からの解脱を欲するが、そのような脱出を意志することは、所詮近代的意志主観の自己貫徹・自己実現の一環にすぎない。つまり、救済を求める限り、救済は決して実現しない。とすれば、自己救済は不可能ではないか。しかももし救いがあるならば、それは、次の二つのことを前提とするはずである。
(23)
 1.もし救済があるなら、その時は、近代的意志主観は克服されているはずである。キリスト教的な表現を使うなら、「古き人は死に、新たに生まれ」なければならない。救済は近代的主観にとっては「死」を意味する。従って、もし救済があるならば、そのとき近世的意志主観の権化であるオランダ人は死ななければならないのである。
 2.また、救済があるとしても、近代的意志主観が自ら実現することはできない。なぜなら、自ら救済を欲して実現するということは、これを実現した意志の克服どころか強化につながるからである。従って、救いは外から来なければならない。しかも、救いをもたらすものも、意志主観であってはならない。救済者は同様に、近代的主観を死んだもの、おのれの生への意志をすでに否定した者でなければならない。

 ここに至って、ワグナーの救済が、ショーペンハウアーにおける意志の自己否定の問題とつながってくる。もっともそこからショーペンハウアーのワグナーへの影響の問題へと短絡することは極めて危険であろう。第一に、オランダ人の成立する1840年前後のショーペンハウアーとワグナーとの影響関係を立証することは難しい。むしろ、ワグナー自身も言うように、さまよえるオランダ人は西欧近世の人間観にかかわる根本問題、神話詩の形をとった民(族)の自己表現と考えるべきである。それは、西欧(的)近代を生きる思想家たちによって、様々な仕方で表現されても不思議のない問題である。近代主観性ないし市民的個人の自由の克服という課題は、ドイツ観念論からショーペンハウアー、フォイエルバッハ、ニーチェ、キルケゴール、マルクスを経て、ハイデッガー、批判理論、ポストモダンへと至る大きな流れの中で捉えられなければならない。この問題連関において、近代西欧的主観性の問題を理解する場合に「優しい学」の理念が占める役割に筆者が期待を抱く理由でもある。

3)ゼンタの死によるオランダ人の救済は、近代的な個の自己克服による共同性の帰還が、近代的個の意志の働きではなく、また同じ個の意志の否定によるのでもなく、他者のための自己否定(同苦としての愛)に基づく共同性において成就することをしめしている。ここでショーペンハウアーとの関連で具体的に問題となるのは、ゼンタの死が、オランダ人の苦しみを我が苦しみとする愛ゆえに選ばれた死であったとしても、それが意志された死(自殺)であったということである。自殺は、意志を鎮静せず、むしろ強化する(24)。その点は、ショーペンハウアーの立場から見れば、以上のようにオランダ人を解釈するときの小さな汚点といわざるをえない。『タンホイザー』における救済者エリザベートでは、この問題は一応解決されている。しかし、更に考えを進めてゆくと、救済への意志は、それが意志である限り救済をもたらさず、救済を意志・意識しないものだけが、自己と他への執着、救済への執着から解放されて、他者にたいして真の救済者となる(パルジファル)、という点にまで到達するであろう。そこから改めてオランダ人に目を戻すと、救済がゼンタの自殺という形をとるにせよ、オランダ人にとって予期されぬ仕方で、再び嵐の中へと出帆しようとするオランダ人の(打ち砕かれた)救済への希望を欺いて、あたかも「恵みのように」、「外からやってくる」(25)、という点に関しての説得力は、強い。

 次に、愛の共同性による救済、という点に焦点をあててみると、当然ワーグナーとフォイエルバッハとの関係が問題になってくる。それは、ショーペンハウアーとフォイエルバッハとの関係の問いへと発展するであろう。もちろんここでも、単純な影響関係について論じることは、ショーペンハウアーやフォイエルバッハのワーグナーへの直接的影響を論ずるのに劣らず不適当である。何よりもまず、彼ら三人を含めた、多くの同時代人たちを貫く根本経験の共通性こそが問題にされなければならない。その時代というのは、遅くともヘーゲルによって代表されるドイツ観念論において始まっており、ニーチェ・ハイデッガーに至る。その底流は、現代にいたっているとしても、表現主義的な異化・現実破壊作用でさえも暴露できないほどの深部を穿つ。かつてナチスの勃興期に親ソ連のイデオローグたち(ベルンハルト・ツィーグラーや、ルカーチ等)が、表現主義のブルジョワ批判は、「ブルジョワ」の本質をなす搾取という経済問題を度外視して抽象的な反逆を企てることによって、「ブルジョワ性」そのものを克服できず、逆に当のブルジョワ性に陥っている、と非難したものであるが
(26)、この批判は批判者たち自身の意図を越えて、的を得ている。この批判は、共産主義の亡霊をもう一度呼び出すことはないとしても、少なくともわれわれにとって西欧近代の克服が生易しいものではないことを教えている。この事を肝に命じておかなければ、『優しい学』も、一部の環境保護運動と同様、技術音痴と知的落ちこぼれの単なる反技術キャンペーンに堕してしまうであろう。

 基本的には、ショーペンハウアーは、一方で概念の実体化による形而上学的思考の克服を、他方で同時に共同性における近代的主観性(個)の克服を目指すという問題意識において、ヘーゲルからフォイエルバッハに至る思想史的展開と問題意識をともにしながら、フォイエルバッハと異なり、人間の類的本質の実現への意志にも救済の可能性を認めない。この点に関してワーグナーは、確かに『将来の芸術』(1849年)などの芸術論文においては、「たてまえ」として共同体における存在構築というフォイエルバッハ的な発想を下敷きにするが、
(27)実際の創作活動においては、初期のオランダ人以来、フォイエルバッハ的な類的本質の実現とは一線を画し、むしろショーペンハウアーの意志の否定に通じる救済観を維持する。そのような思想的な前提をもって、実際にワーグナーは、『ニーベルンクの指輪』創作中にショーペンハウアーの哲学を知り、急速に傾斜してゆく。しかし、当のショーペンハウアーがワーグナーの音楽を評価せず、『指輪』台本の献呈に応じなかったことも有名である。




【註】

  1. 本稿は、1993年10月2日に愛知学院大学で行われた「日本ショーペンハウアー協会」全国大会での研究報告に、手を加えたものである。

  2. 「さまよえるオランダ人」あらすじ
    商船の船長であるオランダ人は、希望峰をまわる新航路を開拓しようとするが、嵐に妨げられて進めず、ついに神を呪ってしまう。そのために、世の終わりのときまで嵐の中をさまよい続けるという罰を受ける。しかし、天使の同情によって、幽霊船の船長は七年に一度上陸を許される。そのとき永遠の愛をささげる女性に出会うならば救済される、というものであった。だが、七年ごとの救済への希望は幾度となく打ち砕かれた。そうしたある七年目、オランダ人はノルウェー人の船長ダラントの娘ゼンタとめぐり合う。ゼンタもまた、オランダ人との出会いを予感しており、二人の愛は成就するかにみえた。その時、ゼンタに想いをよせる猟師エリックのゼンタに言い寄るのを見て、オランダ人はゼンタが裏切ったと思い、絶望して再び嵐の中へと出帆してゆく。ゼンタは、オランダ人を追って崖から海に身を投げ、その死によって、オランダ人も救済される。

  3. 表現主義論争に関する資料は、池田浩士編訳『ルカーチ・ブロッホ・ゼーガース表現主義論争』(盛田書店、1968年)参照。]

  4. Max Graf: "Richard Wagner im Fliegenden Holländer. Ein Beitrag zur Psychologie künstlerischen Schaffens." In: Schriften zur angewandten Seelenkunde. Hg. v. Prof. Dr. Sigm. Freud. 9. H. Leipzig und Wien, 1911. Abdruck in: Richard Wagner: Der fliegende Holländer: Texte, Materialien, Kommentare. Hg. Attila Csampai und Dietmar Holland. Reinbeck bei Hammburg, 1982 (=Holländer); 邦訳:『ワーグナー。さまよえるオランダ人』(山本宏・高木卓訳)音楽之友社・名作オペラブックス18), S. 146−164.

  5. バイロイト・クッパー演出は、レーザーディスク Philips PHLP-10024〜5 (1985年収録)

  6. Isolde Vetter: "Senta und der Holländer − eine narzistische Kollusion mit tödlichem Ausgang.(「ゼンタとオランダ人。ナルチシズムの共同幻想がもたらした死」)In: Holländer, S. 9−19参照。

  7. Joachim Herz: Das Romantische und die Wirklichkeit: Forderungen an eine Inszenierung des Fliegenden Holländers (1976), Abdruck in: Holländer, S. 223−233.

  8. "Seinetwegen ist das ganze Werk geschaffen." Franz Liszt: Der
    Fliegende Holländer von Richard Wagner (1854). In: Holländer, S. 136.

  9. 殊に、Richard Wagner: Eine Mitteilung an meine Freunde (1851). In: Holländer, S. 81−82参照。なお、上記の「民族の神話詩的自己表現」は、"das mythische Gedicht des Volkes"(a.a.O. 81.)を同時にgenetivus subiectivus/obiectivusと解して意訳したもの。

  10. 拙著「若きショーペンハウアーにおける『表象としての世界』の構想」、『武蔵大学人文学会雑誌』第19巻第3/4号、39−66頁、特に39−47頁参照

  11. 哲学と音楽との同等性については、Schopenhauer: Die Welt als Wille und Vorstellung. Erster Band (1819). Sämtliche Werke, Hg. Arthur Hübscher, Bd. 2 (=WI), Frankfurt a.M., 1972, S. 312
    ( 52); 邦訳:『意志と表象としての世界』(西尾幹二訳)、中央公論社『世界の名著』続編第10巻『ショーペンハウアー』所収(=『世界』)、489頁、哲学と神話(転生の神話)との同等性については、WI, S. 420; 『世界』626頁等参照

  12. 拙著「優しい学としての哲学」、日本ショーペンハウアー協会編『ショーペンハウアー研究』創刊号、137−150、更に詳しくは、拙著"Der junge Schopnhauer. Genese des Grundgedankens der Welt als Wille und Vorstellung. Freiburg/
    München 1988, S. 224−274等参照

  13. ここで注意しておかなければならないことは、ショーペンハウアーにとっては、悟性によって同定される個物(経験の対象)は、標準直観(イデア)を原像とする直観的表象(anschauliche Vorstellung)と呼ばれ、概念とは呼ばれない。従って、ショーペンハウアーの言う概念は常に類概念や抽象概念である。しかしひるがえって見れば、直観的表象の存在も、伝統的形而上学の考えるような自体的存在という意味での実体性を持ち得ないことは、カントの現象論と同様である。この点について詳しくは、拙著"Platonische Idee und die anschauliche Welt bei Schopenhauer." In: Schopenhauer-Jahrbuch, 70 (1989), S. 84−93等参照。

  14. 註(11)参照。

  15. WI, 48 ( 9章); 『世界』166頁。

  16. WI, 206 (32章); 『世界』 353頁。

  17. Hans Mayer: Nicht-mehr und Noch-nicht im Fliegenden Holländer. In: Holländer, S. 167−176, hier: S. 173.

  18. I. Vetter: Holländer, 19.

  19. クロールオーパーからハリー・クッパーのバイロイト演出(1978)、ヴェルニケのミュンヘン演出(1981)に至る。演出論としては、上述のハンス・マイヤー、フェッターのほか、ヘルツ(J. Herz: Das Romantsiche ..., S. 231f.)、バイツェル(Edgar Baitzel: Zur Dramaturgie der Münchner Neuinszenierung 1981 (1983). Abdruck in: Holländer, S. 234−237, hier: S. 237.)など異口同音にそのような説明をしている。

  20. Immanuel Kant: Kritik der Urteilskraft, Hamburg 999 (PhB-Ausgabe), S. 999; Paul Lorenzen: Methodisches Denken. Frankfurt, 1974, S. 28.

  21. Max Horkheimer/Theodor Adorno: Dialektik der Aufklärung (1947), Frankfurt a. M. 1971, S. 42−73 参照

  22. Max Weber: Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus. In: J. Wickelmann (Hg.), Die protestantische Ethik
    (Mnchen/Hamburg 1965, S. 122−125; マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(梶山力・大塚久雄訳)、世界の名著第50巻『ウエーバー』所収、175−177等参照。

  23. 共同性の秩序に反して自我に執着する個(キリスト教的表現を使うなら、神の永遠の掟に叛く罪人)にとって、救済とは自我を共同(公同)性へと解き放つことであるが、その場合共同性の秩序を自我が先取りして構築することはできない。そのような反省を極限にまで進めたときに、共同性の秩序をすでに知っており、ないしこれを実践することができる(神の意志を知って、これを地上で実現しようとする)、とする高慢、さらには自我の努力で自我の消滅を達成しようとする禁欲に代わって、そのような救済への意志をも放下して共同性につくす実践、すなわち隣人への思いやりの中で結果的に我執の消滅を実現させてゆくという謙虚さが生まれてくる。それはすでに中世ヨーロッパにおいて、例えばチューリンゲンの聖エリザベート − 彼女は姿を代えてタンホイザーにも登場する − を代表とする女性の敬虔運動と慈善活動との結びつきにおいて実践されており、また、エックハルトによって「神のみこころが地にもなるように」と祈ることさえもはばかるほどの自我の否定(Meiser Eckehart: Deutsche Predigten und Traktate. Hg. J. Quint. München 1978, S. 304. 説教第32番)へと純化されていた。

  24. WI, 471−476 (69章);『世界』689−695頁参照。

  25. WI, 480−483, (70章);『世界』702−705頁

  26. 池田浩士編訳、前掲書、ことにルカーチの「表現主義の<偉大さと頽廃>」、13−68頁参照

  27. Richard Wagner: Kunstwerke der Zukunft (1849). Frankfurt a. M. 1983, 17−22 (I.4: Das Volk als die bedingende Kraft für das Kunstwerk) ,139−157 (V: Der Künstler der Zukunft)などの箇所参照。



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